このサイトの記事を読むあなた、知識をネットから得ることができるあなたに、私たちはネットを介して大学という場から学びについての問いを投げかけたいと思います。まず、「学びの場」がある意義とは何でしょうか? また、情報としての知識を図書館や学術機関という場で得ることと、ネットを用いて個人端末から得ることの違いって何ですか? わからない、というあなた、このネットの記事を介して私たちと共に場の意味を考えていきましょう。そして「無い」というあなた、この記事の学びへの問いから浮かび上がる、我々の社会に忍びよっている問題とは無縁にいい人生を送れているのでしょう。
いいですね、いい旅を!―― とはいえ、実は私たちも「無い」と思っていました。取材に挑むまでは場の意義と、さらにそこに這い寄る社会的な問題にも気づいていませんでした。
単なる情報(information)としての知識ではなく、日本語としての「情報」、つまり「人の情を介した報せ」として心を揺ぶる熱が場所には宿ることを私たちに示したのが、今回ご紹介したい「新宿歴史博物館」です。当初、私たちは新宿歴史博物館について「新宿に限定した歴史って何?」「歴史こそネットで十分なのではないか?」という批判的な関心だけをもって都営新宿線曙橋駅に降り立ちました。
館内で待ち受けていたのは、日本の近代文学に関する膨大な資料群と日本の文化と生活についてのさまざまな形式の展示で、文字通りのタイムスリップ気分。そして何より好感がもてる意味で、饒舌なガイドさん。ガイドさんが熱っぽく説明する仮説から資料と展示を見ることで、日本の文化を作り上げてきた巨匠たちの歩みを、その息遣いから感じられ、古代から昭和までの新宿の歴史を、一瞬のような三時間の間に体感していました。
展示とガイドさんの織りなす知に心を揺さぶられ、場にはやはり秘密があると確信した私たちは、館の運営を区から委託されている公益財団法人新宿未来創造団の学芸員、佐藤泉さんにインタビューを行い、場に埋め込まれた熱っぽい学びの秘密には人々の関係があること伺うことができました。
――― 新宿歴史資料館はどんなところですか? 利用者はどんな方ですか?
もともとは郷土資料館のようなものが中央図書館にありました。で、きちんとした博物館を作ることが新宿区で決まって、学校跡地を場所として、中央図書館に所蔵していた資料、博物館建設に当たって収集した資料、他に購入したものなどを加えて作られました。意外に思われるかもですが、近代文学はほぼ新宿が発祥といっていいくらいで著名な方がたくさんいます。利用者は展示を見にくる方や施設(作業空間など)を利用する方含めて年間だと6万人くらい。講堂の貸し出しなどもしていますし、この博物館の主催の講座とか講演をやったりで、土日はほぼ稼働してる感じです。
どのような意味で近代文学の発祥の地なのかといえば、あらゆる意味において、と納得させる資料が展示されている。たとえば、その新宿という場に築かれた知にきづかせてくれたガイドさんの熱心な弁から「市ヶ谷で暮らしていた小泉八雲、新宿二丁目で牧場を営んでいた祖父の家で週末を過ごしていた学生時代の芥川、あの三島の幼少期が四谷にあって、江戸市谷の尾張徳川家上屋敷(現・防衛省)に尾張藩士の子として生まれた二葉亭四迷、下落合に住んでいた頃に作風を変化させた、漱石が亡くなるまで暮らした早稲田では山頭火の学生時代が、島崎藤村が極貧を極めたのが大久保でーー」といった風に、新宿を舞台とした作家の尽くし難い物語が溢れ出ていたのが印象的でした。
――― 常設展示のガイドさんはどんな方ですか?
ガイドスタッフはここでボランティアとして所属している方たちなんですけど。ボランティア制度ができたのが平成17年。ちょうど団塊の世代の方達がそろそろ退職になり、平均寿命も伸びるなかで、退職後をどうするかという社会問題というか、社会教育における一台テーマになってきていて、その一環として「ボランティア制度を」という流れがあって、その流れの中でここでも、ボランティアを養成するようになりました。
ボランティア養成講座というのをやっていまして、講座を受けて全般的な知識をつけてもらってから、ボランティアとして登録してもらって、活動してもらっています。みなさん非常に勉強熱心な方達が多いです。今130人くらい所属していただいています。毎日誰かがどこかでガイドをやっていただいています、いつも誰かがという形で。やはり、ただ見ているのとは違い、見方がわかって説明があるとよりわかりますね。
ガイドスタッフの方たちの年齢はやはり高く、年配の方は社会の前線で活躍していた人が多いです。来るたびに(削除お)違ったガイドさんから、また違った話を聞けて雰囲気も変わると思います。みなさん自分の得意なところはよりお伝えしようとすると思いますし、男性と女性では違うかもしれませんし、来るたびに違った体験になるかもです。
訝って訪れた私たちに、日本の近代文学の発祥の地としての文化人たちの歩みが刻まれているのが新宿であったことを再発見させてくださったガイドさんたちは、実は学芸員さんではなくボランティアでした。それぞれが情熱を持って歴史をこの博物館で学び、130人! それぞれの情熱からその学びを伝えていたのでした。
この日、私たちをガイドしてくれた方も、「実はこの説はあまり支持されていないんですが、とてもロマンがあるので!」といった風に、知識の正しさよりもご自身の感性を交えた仮説で語ってくださった。別の日にいくとまた違った視点、違った情熱から新宿の人々の歩みと出会えるのです。ボラティアの語りの豊かさが、場に活気をあたえる、その活性の可能性は非常に大きいのではないだろうか。なぜなら
新宿歴史博物館という場所は、新宿の歩んできた歴史という道をただ展示する場所ではなく、それぞれに関心を抱いた人々が学び、またその学びを伝えていく知識の流通経路となっていたのです。きっと文学の礎となった巨匠の方も歴史を作り上げるという意識からではなく、それぞれの情熱にかられて活動し、それが今結果的に歴史という知になっているのでしょうが、その知をそれぞれに情熱を抱く今の人々がここで学び、そしてそれぞれに伝えていく、そのようなバラバラに情熱を持ったものの歩みで作られる、けものみちのような場が新宿歴史博物館という場所であったのです。—「けもの道」とは本来はいきものが生きるために往来することでいつのまにかできる道ですが、情熱をもって活き活きと新宿につどう人々のまさに歴史的な往来 によって、ボランティアなど外からの知が血として導入され、新宿歴史博物館という場に知のみちが舗装されていたのでした。直線の道があるのではなく、複数の錯綜した知の道から、動物的という意味ではなく、情熱と知が一体化した「もう一つの道」が今日も新宿歴史博物館で生成されているのです。
知識というものはただの情報という側面もありますが、それは情熱に突き動かされた人々の歩みから生まれ、またそれは人々の歩みによって命を与えられるのだ、ということを実感し、知とは「けもの道のような生きた道」であるのだという理解に至りました。ただ場所があることに意味があるのではなく、人々の情熱からその場が知になっていくのです。
しかし、それぞれに熱をいだいたものたちがつくる知が、我々の社会の歩む方向や歩み方によって、いま窮地に立たされているという現状がインタビューから浮き上がってきました。
―――この博物館の問題や課題はどこにありますか?
常設展示は基本的には変わらず、部分的に三カ月に一回、少し変える。ここができたときはかなり新しい形態だったんですが、30年立って、もっとすごいのができていて、ここは少し古くなっているかなと思うんですよね。当時からほぼ変わってなくて、30年前は新しい博物館だったんですよ。
やはり博物館はどこもそうだと思うの(ん)ですが、ご利用される方はやはりご年配の方が多くて、入館者にリピーターが多いのはいいの(ん)ですけど、お若い方たち、10〜20代、30~40代くらいまでの利用が少なく、そういった方たちにどうやって足を運んでいただくかという課題があり、それは常にあるテーマだと思います。
常に展示をしているので、さらに講座もやっているので、学芸員が資料を研究したりする時間が限られてしまいます。いや、ほとんど無いに等しい。展示の担当になれば、それについて調べるということはできますが、それ以外はできない。なんとなく静かでこういうところはのんびりしてそうですが、常にみんなは仕事に追われている感じですね。なんでもやらなきゃならないというのがあります。ここでは広報活動も、講座講演会もやりますし、私たちは指定管理者なので、新宿区から指定を受けてやっているので、入館者数といった成果を出さないといけないので、講座の数やイベントの数をより増やすことになってきます。
新宿歴史博物館は、いくつかの展示は老朽化のためか故障しており、来客される方も年齢層の高いリピーター以外は、歴史には関係のない例えば法律の講習会などのイベント参加を目的とした方がほとんどで、ガイドも若い世代がいなくなっている。つまり全体的に高齢化。また豊かな資料にも関わらず、学芸員の方は雑務に追われ、新たな知を作り出すことができていないという問題が今回の取材から浮き上がりました。このような問題はあなたのまわりや、今の日本社会には溢れていて、なおかつ根本的な問題ではないでしょうか?
一つ言えるとすれば、それは運営する財政面の問題が挙げられます。私たち国民は健康で豊かな生活を送るために、学校教育や医療、博物館などの公共サービスを提供してもらうべく、国に税金を納めている訳ですが、それが公共サービスを維持・運営するレベルに達しておらず、むしろ困窮していること、これが公共サービスにおける今の日本の財政の現状だと言えるのではないでしょうか。
もちろん、では増税すればいいのか、という単純な問題ではないと思います。私たちが考えるべき点は、そのような単純な手立てによる解決策だけではなく、では本当に財源が足りていないのだろうか、政府の税の使い方はどうなっているのか、というような根本的な問題、すなわち、なぜこのような問題が浮かび上がって来ることになったのか、ということに対して一人一人がそれを受け止め、深く考えていくことではないでしょうか?
突き詰めて議論していくとすれば、この他にも様々な意見があると考えられますが、ここではこのような問題が、私たちの健康で文化的な生活を担保する存在である博物館や図書館などといった、知に関わる領域にもほころびをもたらす可能性があるということを、この記事をもって皆さんの心の片隅に留めておいていただけたらと思います。