「コミュニケーション能力が大切」と言われる時代である。経団連が1331社の企業へ行った調査でも新卒採用の「選考時に重視する要素」のトップは12年連続で「コミュニケーション能力」であるが、コミュニケーション能力とは社会学者が研究を重ねても定義できないといわれている。では、人々は何をコミュニケーション能力だと考えているのだろうか。
日常では、「コミュニケーションがとれている会話」といえば、「うん、わかるわかる」「いいなー」という、共感や感嘆の相槌が並び、好きなもの、嫌いなものを述べ、「心を開いた」と感じる感情的な共有状態が一般的かもしれない。しかし、私は自分の好きなものや嫌いなものを他者に話すことが苦痛であり、共感する素振りで気を遣うことも面倒に感じる。
「人見知り」も多いこの世の中に、同じように考えている人は少なくないはずだ。「感情を表現し、心を開く会話」がコミュニケーションとしてあるならば、感情を表現せず、「心を開かない自由」が保障されたコミュニケーションがあってもいいのではないか。それが心地よいのであれば、立派なコミュニケーション能力かもしれない。
「心を開かない自由」が保証された会話で、コミュニケーションが成立する場面のひとつにとして、「営業の仕事」を私は挙げたい。お客様にモノを買わせるためには、「買うことによるメリット」を伝えなければならない。売れる営業マンは「大量の情報を仕入れ、その中から客がメリットを感じやすい事例を探し、提案すること」が得意である。反対に、売れない営業マンは「明るさやノリだけで勝負できると考えている」者が多い。
営業マンはコンピュータのように、似た前例を検索しながら顧客ニーズに挑む。その際、アナロジー(類推)の力がモノを言う。アナロジーとは「知らないことをよく似た既にに知っていることにたとえること」を指し、これにより理解、学習は促進される(*1)。営業マンが「身近な事例に落とし込む力」を使って、売上を伸ばすのはこのためである。
私も先日、初心者の営業マンから生命保険について説明を受けたが、同席したベテランの営業マンの事例紹介が見事であった。通常、わたしたちは生命保険の制度や商品内容だけでなく、適用される病気の例すらよく知らない。「婦人特有の病気」と言われても実感がわかない。しかし、このベテラン営業マンは自身を襲った体調不良の例を出して説明することで、「自分にも起こりそうな、身近なこと」として顧客を理解させたのだ。
キリスト教の祈りは「天に召します我らの父よ」と、神を父親にたとえている(*2)。電流は「水の流れに置き換えた説明」が教科書などに登場する。宗教から科学まで、昔から物事を身近なものとして理解するためにアナロジーは利用されている。ここでは、アナロジーのなかのメタファー機能(〜のようだ)をつかっている。
テレビの、特にお笑い芸人の世界でもアナロジーを活用した「オチ」が多く見受けられる。たとえば、漫才やフリートークは、ボケ役の内容をツッコミ役が「○○みてえじゃねえか」などと、メタファーをつかったアナロジーで示して観客に理解させる。有吉弘行の芸である「あだ名」(人を何かにたとえる)もアナロジーを活用した例だろう。有吉は「人見知り芸人」としても知られているが、テレビ画面上では立派なコミュニケーションが成立しているのだ。
お笑い芸人には「人見知り」も多いという。「緊張を開放する最も簡単な方法が笑い」(*3)とも呼ばれているため、自分を守るために人を笑わせているという面もあるだろう。と同時に、感情を表現することが苦手な者は、「類似点探し」やメタファー表現などでその場を盛り上げている。つまりアナロジーの活用でコミュニケーションをとる傾向があるのではないだろうか。
大学生は、就職先での人間関係に不安を感じているという調査がある。大学生はそれまでの学校生活で「クラス内でのノリによって確定し、覆せない」という、「学校内(スクール)カースト」と呼ばれる現象を味わい、「仲間コミュニケーション」に苦労した経験の影響があるという。そのため、卒業後、社会人としての「仕事コミュニケーション」に不安を抱いているとのことだ(*4)。私はこの「仕事コミュニケーション」の多くは、「アナロジーによるコミュニケーション」で対応できると考えている。
私の転職経験から得られた教訓からすると、職場で趣味の友達を作ろうとすると失敗するのが常である。友達を作るくらいならば、「仕事コミュニケーション能力」を作ってしまったほうが、人間関係はラクになる。仕事の人間関係で衝突を起こさないためには「目標を共有すること」が大切だ。目標を共有し、達成するためには、成功事例や失敗事例を共有する必要がある。このときに助けとなる力が、「類似点を見出す」アナロジーの力である。
趣味が合うという理由だけの繋がりは、趣味が変わった途端に離れてしまいがちだ。趣味が変われば「共感や感嘆の相槌」が難しくなる。仲間が離れる度に心を痛めて生きるより、「仲間コミュニケーション」を捨て、アナロジーを活用する「仕事コミュニケーション」のみで生きることのほうが、心地よいのではないだろうか。現に私は友人にも、仕事のような会話で接するほうが心地よい。礼儀正しく敬語を使っているかどうかの違いである。感情を表現しない自由を守ることも、コミュニケーションの形として重要視されてもよいはずだ。
【参考文献】
「2015年度新卒採用に関するアンケート調査結果」2016年2月16日発表 一般社団法人 日本経済団体連合会発表
*1『教養としての認知科学』 2016 東京大学出版会 鈴木 宏昭 (著)
*2『アナロジーの力―認知科学の新しい探求』1998、 新曜社、キース・J. ホリオーク, ポール サガード (著), 鈴木 宏昭 他(翻訳)
*3『ユーモアの心理学』1995、大修館書店、アブナー ジッブ (著) , 高下 保幸 (翻訳)
*4『アンケート調査から見た「コミュニケーション能力」の現状と問題点』2013 名古屋商科大学、川村 稲造(著)