ああでもない、こうでもない 芸術家とともに考える社会包摂 小野田 由実子

人間としての芸術家

 時代とともに、社会における芸術の役割は変化している。その担い手である芸術家は、何を考え、何を悩んでいるのだろうか。「天才」や「異端」など、特別視したイメージで捉えられがちな芸術家。だが、わたしたちと同じ時代をともに生き、人や社会と関わり合い影響を受けながら、新しい創造活動を模索している。そうしたひとりの「人間」としての芸術家と対話をするなかで、新たに見えてくることがあるのではないだろうか。

芸術家に求められている新しい役割

 芸術における役割が変化するなか、近年、文化芸術における「社会包摂」という考え方が注目されている。これは、子ども・若者、高齢者、障害者、在留外国人など社会的弱者が、社会的な参加やつながりから排除されている状態を「社会的排除」とし、これに対して、社会参加の機会を開いていこうとする考え方である。(*1)
 そうしたなか、教育、福祉、まちづくりなど、さまざまな分野と連携した取り組みが、全国各地で行われている。たとえば、作曲家の野村誠氏は、1999年から特別養護老人ホーム「さくら苑」でお年寄りと共同作曲を行ってきた。お年寄りは、野村氏の即興演奏に合わせて自由に楽器で音を出したり、歌ったりしながら時間を過ごす。
 さくら苑の苑長である桜井里二氏は、「野村さんのワークショップは不思議なものを見ている気が今でもする。なぜお年寄りがこんなに良い表情をして、野村さんに会わなければ出てこないようなことが、風のように出てくる。それは本当に不思議な力だと思う。こういうことこそ、お年寄りの皆さんを縛りや規制、現代社会の管理的なものから解きほぐすものだと思う。」(*2)と述べている。野村氏の活動は、こうした面から見ると、まさに「文化芸術による社会包摂」の実践であり、実際にそのように取り上げられることが多い。
 しかし、こうした変化のなかで、その担い手である芸術家が、創造活動や社会とどのように向き合っているのか、ということはあまり明らかにされていない。芸術家の創造活動はこれまで、作品の批評や文化政策を通して語られることが多すぎたのではないか。芸術家の主体/内的プロセスからこの事態を再度検証できないだろうか。

芸術家から社会を照らす

 芸術家の創造活動は、長い間、個人の特殊な能力によるものとみなされてきた。その一方で、近年、認知科学や心理学の分野では、芸術家の理解や支援に向けてさまざまな研究がなされ、新しい知見が蓄積されている。芸術家はどのように思考し、どのような関係性のなかで創造活動を行っているのか。芸術作品に対する批評だけではなく、芸術家の思考や認知のプロセス、あるいは表現や創作のプロセスが注目され始めている。
 芸術家の創造活動は、時として個人的な活動に見えるかもしれないが、社会文化的な文脈からは決して切り離せない。個人差はあるが、生きている時代や社会の変化、人との出会いなどからさまざまな影響を受けている。そうした「人間」としての芸術家に迫り、芸術家の側から社会を照らしてみることで、芸術のもつ可能性はさらに広がっていくのではないだろうか。

ああでもない、こうでもない

 それでは、芸術家自身はどう考えているのだろうか。上で述べた野村氏は、著書のなかで以下のように述べている。

 「野村さんは天才だから」、と言って、それ以上、野村の音楽について論じられないことほど、寂しいことはありません。ぼくは、ああでもない、こうでもない、と悩み、考え、試行錯誤して、色々な失敗と成功を積み重ねて、一喜一憂しながら、音楽活動を続けてきました。そうした内面の葛藤を、皆さんとシェアし、一緒に色々なことを考えたいので、こうして本を書きました。(*3)

 また、野村氏は、お年寄りだけでなく子どもたちとも共同作曲を行っており、自身の活動について以下のように述べている。

 「野村誠と子どもたちの共同作曲」は、ぼくの創作活動の源であり、さらには創作活動の一部だ。新しい芸術を生み出す野心のもとに子どもたちと接しているのであって、ぼくの他の芸術活動と一線を画するものではない。(*4)

 つまり、野村氏は共同作曲を、社会から排除された高齢者や子どもを包摂する「ために」行っているわけではない。文化芸術による社会包摂は「目的」ではなく、あくまで、芸術家として自身の創造活動に誠実に取り組んだ「結果」なのだ。野村氏は、芸術家として常に自身の創造活動と向き合いながら、「ああでもない、こうでもない」と悩み、試行錯誤を続けてきた。そして、そうした試行錯誤による失敗と成功の積み重ねが、結果として社会包摂につながったのである。新しい芸術を生み出すことが「目的」であったにもかかわらず、その活動に誠実に取り組むことで、意図せざる「結果」になるという逆説。この逆説的とも思える芸術家の創造活動にこそ、これからの社会において、そもそも排除を生み出さず、多様な人々がともに生きるためのヒントが隠されているのではないだろうか。
 これからの社会は、これまでの時代以上に、多様な価値や異なる文化的背景をもった人々がともに生きていくことになるだろう。そうしたなか、「そもそも排除を生み出さないためにはどうしたらよいのか」という問いを考えることは、正解がなく難しいかもしれない。しかし、お互いの価値や文化の違いを知ったうえで問題と向き合うことで、たとえ「正しい解(正解)」ではなくても、お互いにとって「納得できる解(納得解)」を見つけることはできるだろう。
 芸術家たちはひとりの「人間」として、社会や人から影響を受けながら創造活動を続けている。たとえば、従来の「つくる(創造)」と「みる(鑑賞)」という二項対立的な枠組みを超え、自分と属性の異なる他者とともに、創造活動に取り組む芸術家が増えている。そこでは、人や社会との関わり合いから自分自身を切り離すのではなく、他者と作品の創造プロセスを共有する試みが行われている。人や社会との関係性の「外」側からではなく、関係性の「中」側に身を置き、時間をかけ他者と丁寧な信頼関係を築きながら、新たなコミュニケーションの回路を探っているようにも見える。そうした場面で、芸術家たちが、どのように考え、悩み、試行錯誤を重ねているのか。そのプロセスを共有し、丁寧に対話を重ねていくことは、一見まわり道にみえるかもしれない。しかし、芸術家と未来を創造することは、これから多様な人々がともに社会で生きていくための、希望となるはずだ。

【引用文献】
*1 平成27年5月に閣議決定された「文化芸術の振興に関する基本的な方針−文化芸術資源で未来をつくる−(第4次基本方針)」では、「文化芸術は、子供・若者や、高齢者、障害者、在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会包摂の機能を有している」と記されている。
*2 財団法人地域創造『文化・芸術による地域政策に関する調査研究 資料編②[国内事例調査]』財団法人地域創造(2010年)28頁
*3 野村誠『音楽の未来を作曲する』晶文社(2015年)284頁
*4 野村誠『野村誠と子どもたちの共同作曲』(2003年)佐藤学・今井康雄編「子どもたちの想像力を育む-アート教育の思想と実践」東京大学出版会 281頁