子どもにとって学校は必要なのか。いじめ・意欲の低下・学力低下などの教育問題は学校に関連している。私自身、学校では絶対的な先生の教室支配、暴力、女子特有のグループ抗争など、悩まされることが多かった。少し集団の等質性から外れると、先生から、親から、友人から、責められてしまうような体験を、誰もが一度は経験したことがあるだろう。そういった経験の繰り返しによって、私達は社会化する。ここに埋め込まれているのは、一元的な価値付けを強制されることによる、「学び」の消失である。そのように一元的に統制された集団は、自ら意欲的に活動したり、個性を伸ばしたりすることが困難になる。私はここに現代の学校教育の最大の問題があると思っている。
「子どもたちの生きる幸せ」を実現するためには、どのような解決策が考えられるだろうか。例えば一般的には、一元的な価値付けをせず個性を認めるために、順位を決めないことや評価をしないという 方法がある。しかし、それは本当に各種の教育問題の解決策となりうるのだろうか。たとえ順位を決めなくても、評価をしなくても、子どもは否応なしに相対的な自己評価をするだろう。必要なのは、表面的な解決ではなくもっと本質的なものだ。それは、自己原因性のある体験から得る「学び」である。ここで言う「学び」には、失敗体験も成功体験も含まれている。
つまり、大人が子どもの言動を否定しない(評価しない)ということではなく、子どもの体験そのものを認め、価値付けするという支援を行うことで、子どもの体験を「学び」に繋ぐことができる。子どもに対して、大人が考える正解を教えることは非常に簡単なことであるが、そうではなく、支援者として子どもの試行錯誤を最大限に担保する立場をとることが、必要であり、大切なのだ。
「援助」と「支援」という2つの語が、子どもに対する大人の関わり方のキーポイントになると私は考えている。ここでの「援助」とは、大人主体で子どもの行為を補助することである。「支援」とは、子ども主体で子どもの試行錯誤を補助することだ。重要なのは後者なのだが、これが意外に難しい。例えば、子どもが向こう岸に渡りたいと言ったとき、橋をかけて、手をつないで一緒に渡ってあげるのは「援助」である。「支援」は、向こう岸まで渡るための方法を明示せず、子ども自身が考えた方法の実現を最低限手助けするだけにとどまる。目先の問題の解決や、「しつけ」のためであれば、「援助」が最適であるので、現代の教育においては橋をかけて手を繋いで渡ってあげるような「援助」行動が多く見受けられる。しかし、長期的に子どもの生涯を考えると、このように単純な社会化を繰り返ししつけるのは非常に大きな危険をはらんでいる。「援助」され続けた子どもは、援助がないと上手く行動に移せなくなったり、正解を模索するようになったりしてしまうことが考えられるからだ。
私が主張したいのは、支援者として、子どもが提案する方法をまず認め、最善と思われる方法でなくても挑戦することを見守ることの意義であり、それを意識化することの重要性である。子どもたちが自ら試行し、成功ないしは失敗をしたとき、その経験が子どもにとって「自分事」として捉えられ経験値になる。試行錯誤のプロセスを見守るような支援者としての在り方は、ワークショップのファシリテーターに代表されるように、自己原因性感覚の強い体験を提供することができる。その体験こそが、子どもにとって最善の「学び」なのではないだろうか。
子どもにとっての最善の「学び」については上述した通りであるが、子どもの体験の価値をより確かにするためのエッセンスとなる、他者からの「承認」の重要性も示したい。なぜなら、子どもにとって、他者からの承認は極めて重要な価値を持つからである。E.H.エリクソンは、「自己形成のためには他者からの承認が必要不可欠である」と述べている。子ども自身の行動が原因になってある事象を引き起こし、それが大人ないしは社会から認められれば、また挑戦する意欲がわく。数多の試行錯誤の末に認められたのならば、尚更であろう。シンプルに言えば、子どもの体験を「学び」に繋げるのは大人が担う役割であることは不可避なのだ。そこに、援助しないファシリテーターとして子どもに関わる必然性があり、「学び」を生み出す条件がある。
困難にぶつかって失敗することも、目的を達成して成功することも、どちらも価値のある体験であり「学び」だ。個々が社会の一員として力を発揮し、相互に認め合い助けあうために、多様な経験から多様な価値を見出し、「学ぶ」ことが必要で、その鍵を握っているのは大人の関わり方だ。子ども自身が困難に立ち向かい、乗り越えられる力をつけるために「支援」をする。困難を乗り越えれば乗り越えるほど、強く、より豊かに生きることができるようになるだろう。
文章と図示を交互にもしくは同時に考えながら、この授業は進んでいきました。
最終テキストの骨格を、自由度を優先し、あえてハンドドロウイングで構造を見つめます。
この授業での思考の過程を、インプット、アウトプット、そしてその間で起きた考えの変化を、
そのときの率直な感想や思いつきなどもまじえ、時系列でプロットしています。