青山学院大学大学院生・学部生 演習成果発表

大学の「知」を社会へひらく 編集デザイン = Social Output

「編集デザイン」とは、編集の方法を使って「コンテンツ」(考え、意見)を生み出し、同時にそれを哲学的デザイン(Philodesign)に可視化する作業をいいます。

このサイトは、青山学院大学の院生を中心に、学習コミュニティの生成の意味とその仕組みを「互恵的な学習」を通じて形成します。それを「編集デザイン」を使って、Outputすることをゴールにしています。

大学の知を学内にとどめる時代は終わろうとしています。
社会人と学生が協働で社会を動かす未来を創り出すため、知を社会へ開放し、問いかける時代へ。Social Outputの実験を行います。

  • 2018年度アウトリーチする「学び」

    今回の演習は、社会人学生なしで、院生のみ。院生同士であれば、知の形成が同質性の世界に入ってしまいかねない。それであれば、外に異質な「他者」を求めて「知」を形成したい。外へ、アウトリーチする。すると、メディアのあり方が、身体感覚をともなって理解できるのではないか。他者と自分の中間にメディア(媒介)として立ち、コンテンツをつくる。板挟みになりながら、対応の仕方、内容の選別、トラブル処理、つまりメディア構築のむずかしさがわかってくる。書物を読んでただまとめるのではない、アウトリーチの学びを行なう。

  • 2017年度汎コミュニケーション世界

    自由にふるまっているようで踊らされている、管理されている、自己幻想にひたっているだけの人も多い。こういう現象をみて、「少しでも自分に自由があると思っている人には自由はない」と、思想家フーコーは「自由」という言葉の危なさを突いている。自由、これを一度、否定してみよう。反自由論を考えてみよう。その中から、もがきながら登場する、「もうひとりのワタシ」はいないか?今という時代が求めている、もうひとりのワタシの中に「自由」はあるか?

  • 2016年度汎コミュニケーション世界

    グローバル化/複雑化社会のなかで、コミュニケーション力が教育現場や経済界からも求められている。課題発見力、論理思考力、表現力にくわえ、コミュニケーション力が求められている。その現象の裏には、ディスコミュニケーション(断絶)がますます深まっているともいえる。わかりあえない何かがあること。合意できないものがあること。コミュニケーションの光と影。この両者をとらえてはじめて本当のコミュニケーション論ができるのではないか。容易にコミュニケーション力=「善」と決めつけないで、広い=「汎」の世界を探ろう。

  • 2015年度こわしながら、つくる

    本演習では、社会人学生が圧倒的に多い。社会経験をへて、本演習で学び、再び社会で活動する人たち。それゆえに、みな課題の取り組み方が、社会へ戻った時を想定してリアルに想定されている。抽象的な観念性が抜けているともいえる。その「抜け方」を言い換えると、たんなる実用的とかではなく、既存の考えを自らの経験から「こわし」作り替えようとする気概すら感じる。その挑戦心を今年は「こわしながらつくる」として表現する。

  • 2014年度「学びの学び直し」(学びの再定義)

    もしかしたら、もっと違った学び方があったのでは? ふとそう思う人も多いだろう。そのことによって、自分の可能性が別の次元で切り開かれていたらどんなにいいだろう。「学びの多様性」が求められている。「学びの再定義」を行い、「学びの学び直し」を考えよう。学校教育だけではなく、社会や自分と向き合う、誰もが避けてとおることのできない「これからの学び」のあり方を探る。

  • 2013年度「大人の学び」の時代

    今、大人特有の「学び」が求められ始めているのではないか。世界中をかけめぐる膨大な情報、正解のない人生設計、自分にあった知識習得法、そして協働的な知による具体的な提案の必要性――。「生涯学習」と一口では語ることのできない何か、たんなる技術習得とは違う何か。おそらく私たちをとりまく世界の変化に合わせて、今必要な「人としてのリアルな学び」が必要となっているのはないか。これからの「大人の学び」を考える。


  • 2012年度幸福をめぐる選択

    幸福ってなんだろう。価値観の多様化。格差社会。グローバル化。大きなうねりのなかで、
私たちの小さな「幸せ」のあり方が
小舟のようにゆれている。「幸福」を考えるなかで、これからの「日本社会のあり方」が見えてくるかもしれない。
ささやかでもいい。いままで見落とされている、幸福の「納得解」(正解ではなく、自分が心から納得できるもの)を探していく。
生きることの「納得解」の旅へ。